パチンコとバイト |
2008-09-11 Thu 22:42
困った癖、それはパチンコだ。事の始まりは、家のすぐ近所にあったパチンコ屋に700円持って入って、出て来た時には10000円になっていた事による。それ以来、狂った様にパチンコに行き始め、あれだけ貯まっていた貯金も1年後くらいには底をつき、そのくせまだ対人緊張が強かったから、周囲が怖くて出球を出していても緊張するし、また打ち込んでいても緊張するという、ダメダメ状態を7~8年も続けてしまった。
さらには1年の内、パチンコ屋に行かない日が20日位しかない年もあり、バイトを何の為にやっているのか分からない、愚かな行動を病的に繰り返していた。パチンコは結論から言えば「勝てない」モノである。にも関わらず私がこの時期ここまで熱烈に通ったのは、言い訳っぽいが「独りで家に居るのが堪らない」「パチンコ屋に行けば話はしないが人がいる」という気持ちが強かったのかも知れない。 別にパチンコを美化しているつもりは全く無い。しないならしない方が100倍いい。中毒性も強いし、いい事は殆ど無い。ただ大金を払って、時間潰しが出来た、それだけだ。 パチンコの話は終わりにして、20代を振り返ってみると、郵便局の奇跡的成功から、様々な活動やら大検やらで段々自信を付け初めて、郵便局の時の様に「クローズ」で、バイトに明け暮れた10年間だった。郵便局はもとより、ピザの宅配・運送業・清掃商品の洗濯・サービスエリアのうどん屋・靴の製造工場・日用雑貨の日販店の棚卸・牛乳配達・新聞配達…等などをやった。そんな中でいつも哀しい思いをするのは、バイトを辞める時である。「本当は血圧が高くて辞めるんじゃない!俺、精神病で一杯一杯になってるんだ!」とどれほど言いたかった事か。嘘をつく後ろめたさと、相変わらず精神病に対する偏見に随分悩んだ。しかしこの痛みを伴ってしか今の自分はいないと思う。楽して治る精神病なんて無いと思う。そしてこれらのバイトを続ける原動力となったもの。それは一人間として生まれてきた誇りと意地であった。「まだやれる…まだやれる…」亡霊のようについて回った心の叫びであった。(続く) |
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