タフガイになりたくて… |
2012-06-12 Tue 12:25
今でもまだ、強迫観念に悩まされる事が時々ある。憂鬱な気分に取り込まれることもある。そんな時、以前の私なら外にその悩みを聞いてもらっていただろう。しかし最近は少し違う。自分で自分を『理解』しようと試みる。もしくは問題に直接ぶつからずに『かわす』。昔は出来なかった芸当だ。
悩みは人によって十人十色で、今思えば他人に自分の「きつさ」を100%分かってもらう事など不可能に等しい。ならば自分で自分を受け入れるしかない。それが出来ないなら「いなす」しかない。どちらにせよ出来るだけ自分で処理するしかない。健康な人たちにとっては、これは当たり前の事だろう。 いつまでも親が健康だとは限らない。愚痴を聞いてくれる人がいつもそばにいるとも限らない。自分で何とかしなければならなく当然いつかなる。妄想に逃げ込んでいたのとはちょっと違う、自分の「ケツ」は自分で持つという事だ。この「ケツ」とは、精神面はもとより経済面、肉体的健康面など多岐に及ぶ事柄に対しての「自己管理」の総称だ。 詰まるとこ、これが出来るという事が「大人になる」と言う事なのかも知れない。そのためには精神的に「タフ」にならなければいけないし、「事柄の見極め」が出来るゆとりが必要になってくる。私にはまだまだそれらが足りない。「病気」という隠れ蓑に永らく入っていたために、人に頼る事が本当に多かった。自己評価・自己判断の基準も「周囲」にあった気さえする。しかしこれらは「病んでたから仕方が無かった」と簡単に開き直れる様なものでは無いと思う。 過去を振り返らずに、「これから」を生きて行く為に、とにかく「強く」なりたい。周囲との連携は違った意味で大切だが、私は「私の人生」を生きる主人公。そして強くなくては逆に人の良い縁者にはなり得ない。今から『病後』を力強く、そして楽しく生きて行けるのかも知れない。何より、ここまで来れた事を、全ての人に感謝したい。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
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