偽善者なの!? |
2010-07-10 Sat 01:11
最近私は「健常者」になった様な気がしていた‥。自分の頭もスッキリしているし、周囲から向けられる「視線」も至って自然な風に感じる。過去の凄惨な体験を忘れよう筈も無いが、今の自分がその話の一部を誰かに話せば、驚愕や言いようの無い恐怖心を与えてしまう可能性すらある「見た目とのギャップ」が、事実存在する。それ故に、心の何処かで、あってはならない「病人達」に対する「差別心」が産まれていた。
自らが病気の実体験を通じて感じてきた、この病独特の「不可解さ」「不気味さ」。これらの事実から逃げたくて、解放されたくて‥余計に「健常者」に成りすましたかったのか、ともかく「私は病人である」と公言しつつ、心の内は必ずしもそうでは無く、むしろ一般の市井の人達より「病人」を忌み嫌っていた気さえする位だ。 この根底の想いはやはり前述した様に、自分に対して向けられたものだろう‥。一般に観て「奇行」「愚行」「常識外」そういった類に見られ続けていたであろう自分の醜態に、ほとほと嫌気がさしており、また実際に起こしてしまった「取り返しのつかない」今思い出しても歯軋りする様な「狂気じみた」行動の数々に対する自責の念。これら全てに決別したかった。だから仕方が無い部分もあるが、本当に大切な事を忘れたがっている様に思う。 それ自体を、今良いとか悪いとか、軽々に言える事ではない。そもそもそれは、私の人生のほぼ全てに値するほど、重く、重要な事案であるからだ。様々な矛盾を孕み、未だに答えは分からないというのが本音である。私の今後の人生如何にも因るが、人間の人生なんて、深すぎて複雑すぎて、言葉にする事の方が不可能な気がする時すらある。 しかし人間とは不思議なもので、「人」と話す事によって自分の今現在の状態や度量を、少なからず推し量る事が出来る。そしてそれはとても大切な行為だと感じる。「人」が「人」によって生かされる意味の所以であると思う。 何の話か段々分からなくなって来た。とにかく「健常者」と「病人」の区別なんて、医学上存在するだけで本当は無いのかも知れない。考えれば考える程、沼地に足を取られる様だ‥それでも見て見ぬ振りが出来ないのが元病人の証なのか!?これはノイローゼ!?そして一体私は何者? 今日はもう寝る事にする。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
この記事のコメント |
物事をシンプルに考えることが出来ないのは知識が足りないからですよ。まわりくどくめんどくさいことを考えてしまう癖があるなら、もっと学べばその癖は改善されます。
難しい言葉や概念を使って、いかにも複雑に考えているフリをするのは、まだ学習不足な証拠。 このコメントは管理人のみ閲覧できます
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