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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

負けない!

『背中の鉄板』。本当にどうしようもなくなった時の呪文。私はこれを最初の「強制入院」で体感した。何の何某であることすら壊されてしまった時、この呪文により『絶望』は限りない『希望・安心』に変わった。この約1年後に私は甲本ヒロト率いる「ザ・ブルーハーツ」のオープニングテーマ「ザ・ブルーハーツのテーマ」に出会う。『諦めるなんて 死ぬまで無いから~!』と彼が熱唱する姿を、興奮して病院内の食堂のテレビで見た。これこれ!と思った。私にとっては『背中の鉄板』と「同義語」を彼が訴えていると解釈した。この他にもこのバンドの歌詞には、共鳴出来るものが沢山ある。
また、私の大好きな明治維新の志士・高杉晋作も「この世に絶望は無い」と言いきった。彼はその想いと共に長州藩を、ひいては日本を変えてしまった。もう駄目だ、と誰もが思ったその中で彼は最後までやり遂げ、29歳で結核でこの世を去った。彼の底知れぬ強さ、そこにも『背中の鉄板』を恐れ多いが感じてしまう。出すモノが本当に枯渇しきった時、何が出るのか?人間の真価が問われる瞬間であるが、その時こそ人間の本当の強さ・無限の可能性を実感出来る。
極端な状況下での火事場のくそ力『背中の鉄板』。これは人間の誉れであると思う。「万が一‥」とかいう可能性のものに全てを託す。するといつの間にか「10分の10」に、つまり「絶対安全」になっている‥『背中の鉄板』とはそういった諦めを戒める言葉である。生きている事に「誇り」を持ち、最後まで「人生の責務」をまっとうする。どん底の下は無い。後は這い上がるだけ。そこまでの環境に私を導いてくれた全ての存在に、この場にて感謝の意を表したい。私はつくづく運のいい男である。動かされるまま動いただけなのに‥。

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人情小説

福岡への通勤の行き帰り、高速バスの中で歴史小説をよく読む。自分では余り意識していないが、熱中して読んでいる様で、あっという間に終点間近といった事も多い。司馬遼太郎さんや吉川英治さんなんかのを好んで読んでいる。メジャーな作家が多いのは、読書歴が浅いからかどうなのかは知らないが、まっ、チョイスとしてはふつーであると思う。
新品の小説は殆んど買わないで、古本屋で古本を買う。少し安いし、ちゃんと読めるし、問題無しである。有名どころの作者ばかりなので、棚の本の種類も豊富にある。新しい方の本に手を出した事も何度かあったが、大体しっくり来ないので、今後も暫くは今の感じだと思う。
本来、ノンフィクションの史実を書いた様な本が好きで、その手の本は結構読んだ。チンギス・ハーン、ナポレオン、日本の戦国時代の武将伝、三国志、項羽と劉邦、第2次世界大戦の欧州戦史、明治維新なんかはかなり読み込んだ。それらは云わば「データ本」だったのに対し、上に書いた小説類は「人情本」っぽい感じがする。元々現実重視の写実派だったのだが、精神にゆとりが出てきて少し小説の良さが分かってきだした、そんな状況である。
私は「領土欲」や「金銭欲」、それに「権利欲」や「色欲」がびっくりするほど強い人間であると、最近では自覚している。自分でも思うが、見た目と「中身」のギャップが凄い。こんな俗っぽい人間だから、「大きなもの」「強いもの」に憧れ続けるのだろう。世界史・日本史を問わず、その価値観は今のところ変わる様子は無い。ただ、繊細さに欠ける欠点がある様に思う。発病以来このかた、物事を割り切り過ぎてしまいがちで、何かを忘れていた。それを小説を読むことで補っているのかも知れない。パサついた人生は、他人を理解する上で余り良くない気がする。

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睡眠の力

「寝るに限る!」最近特にそう思う。私は今の職場では、肉体よりも精神が非常にくたびれる。帰宅した時には、げっそりなっている事が大半だ。そんな時こそ「寝るに限る!」のだ。とは言っても夕方にもなってない時もあり、さすがにこの時間に「睡眠薬」というのはちとまずい。そんな事すればPM9時前に起きること請け合いだ。だから暫く我慢しなければならない。しかし疲れ果てていては、何をやっても集中出来ないし続きもしない。夜が来るのを待つだけである。
こんな私だが、以前は「眠る」事に強い抵抗感があった。自分の気持ちがシャップルされるのがとても悔しかった。また、それよりもっと以前は寝ても精神が殆ど回復しない時期さえあった。全くこれには閉口した。でもそのうちに睡眠を摂って心が回復するようになり、飛躍的に病気は治りだした。生活にメリハリがつき始めた。例え4~5時間の睡眠でも、起きたときには気分は爽快!夜食でも買いに行こうかな~等と思い出したらしめたもの。「睡眠」そして「目覚め」がやみつきになって行く。
話は飛ぶが…近所に24時間営業のレンタルDVD屋があり、その店内にネット麻雀が有料だが置いてある。上記の様に夜中1、2時に起きる事はざらなので、その店によく麻雀打ちに行くのだが、その時間に行くと10中8、9出会う客に「嘆き君」(仮名)という奴がいる。その麻雀のシステムは、ネットとは言ってもジャン卓囲んでやってる訳ではなくて、基本一人で打つのだが「嘆き君」は見えない対戦者に向かって「そこでそれ出すかよ~」「もうちょっと待ってくれよ~」「何でそう来るんだよ~」等ととにかくうるさい!迷惑である。あいつも病気臭い、とさえ思う。彼もきっと「事情持ち」であろうな。やってる事がおかしい。まっ、人の事はよー言えんが…。

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感情すたるも‥

暗い夜道を歩いている。少し温かい春の風が、身体の傍を「すーっ」と吹き抜ける。望郷の想いに似た感覚をふと感じて、かなり寂しくなる‥。(昔の俺はこうではなかった!)と思ってしまう。この情景に天地突き抜ける程の感動を、健康だった頃はしっかり味わえる男だったのだ。
しかし同時に安堵感もよぎる。今は生きてる「実感」はしっかりあるから。今、自分が何してるかは良く分かっているから。ある程度、自分の自由意思で自分の次に取る行動を、選べるようになれたから。
病気の酷い時はこうは行かなかったんだよね‥。これだけでも「良し!」と納得すべきだな、俺。
「静かな頭」が思考の空白を取り戻してくれた。有り難い、本当に有り難い。信じる者は救われるってマジだよ、マジ。まぁ、何といいますか、成り行きでなってるんだから、感謝すべきだと正直に思います。人智を遥かに超えた「大きな存在」に対して。
全て元通りに、なんて都合の良い事思っちゃいけない。それなりの「ギブ&テイク」しっかりして来たんだからね。時間・通常生活を売って、貴重な経験と境地を得た。要は「つりあってる」って事よ、何もかも。もはや「方程式」並に緻密に人生「つりあってる」と実感してる。
自分なりにあんまりきつ過ぎて、「人生、あざなえる縄の如し」を長い間信じる事が出来なかったが、「一区切り」まで来てみるものだ、今は充分この格言を納得してる。やっぱ、途中で諦めちゃ駄目だよ。諦めなかったら必ず苦労は報われるから。
「春風」を感動出来ない位屁でもない!だって俺は生きてるし、生きて来れたんだから、ここまで。

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