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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

いつまでも‥

「今が一番幸せだ」‥と思う今日この頃。「今」がずっと続いて欲しい、全てが「今」のままであって欲しい、そう願う傍ら、私はどこかで知っている‥「今」は我々の「命」を削って流れている事を。現に明日、いや今日、家族の誰かが欠けるかも知れず、それは私かも知れず、そしてそういう事は我々人間の力では、到底左右出来るものでは無いという歴然たる「真実」を。
この世に産まれる事=いつか必ず死ぬという事。自ら死のうと思わなくても、死はじわじわと確実に迫って来ている事実からは、何人たりとも逃れられない。例えば両親に対して、そう心得て相対するならば、「今」を限りなく大切にしたい、と私は思う。「大げさな‥」とは私は全く考えない。
しかし、それでも「明日が必ず来る」とどこかで安心している自分がいる。今に全力を傾けなければならない筈なのに、ともすれば毎日が「慣れ」に埋没しがちである。本当は「背水の陣」であるという現状に目をつぶってしまいたくなる。
「今が全て」だ。過去も未来もどうする事も出来ないとしたら、「今」に賭けるしか無い。そういう「今」を重ね連ねて「我が人生」となっ行くのではないだろうか?何時までも生きていたい‥と思いたいのは山々だが、今まで参列した数々の「葬儀」が、「それは違うよ」と教えてくれているかのようだ。
我が家の愛犬「シゲチヨ」は、雪のうっすら積もる日に危篤になったが、最後まで「土」の上で死ぬ事を志した。動物は本能的に知っている‥生きとし生けるもの皆「自然へ還る」という法則を。死後の世界像がハッキリと分からない今の私に出来る事、それは限られているが「一日一生」の覚悟と共に生きる、それかも知れない。

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観るとやるの差とは?

本当に『自分が体験』してみないと、語れない事が沢山ある。怪我一つ取ってもそうだ。私は最近右腕をとある不注意で痛めたのだが、大した事でも無いのに酷く不便している。因みに私は以前から格闘技を観戦するのが好きだった。しかし、選手達の起こして来た怪我を、他人事の様に軽く考えていた私だった。靭帯断裂・眼底骨折・脳挫傷‥等などとんでもないアクシデントである!格闘技に対する思いが今回の出来事で、遅ればせながらかなり変わった。
私は両親含め、他人に殴られた、という経験が殆んど無い(入院時のいざこざは除く)。殴った事も皆無だ(前述のいざこざは除く)。頭の中では嫌っというほど暴力妄想が溢れ出していたのに、スッキリ行動には出せない、そんな複雑な性格をしていた事を、今更ながらに思い出す。
案外小出しに人を「叩く」事が出来たなら、こんな病気にはなっていなかった様だ。しかし何故かこの一生は、私は暴力を実行出来ない様に作られている気がする。何か過去世でやらかしていた事を、非常に悔いて産まれて来たのでは無いだろうか!?人生の7不思議の1つである。
以前も書いたが、私はこの「非暴力の雁字搦め」を『発狂』によって超えたい、と真剣に願っていた時期があった。今思えば悲壮な願いである。しかし、そうしか当時は思えなかったのだから仕方が無い‥。『発狂』にも度合いがあろうが、やり遂げてみてマイナスの結果のみを残したのは言うまでも無い。
「こいつ~ぅ」と軽く人の頭を叩きたかった‥マジです。

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