本当の「愚かさ」に憧れて |
2011-09-30 Fri 11:22
自分の事を本当に「愚か」だと自覚する事が、私にとってはとても大切な事だった。建て前ではなく心の底から「愚か」であると思える事は、実は肩の荷が凄く軽くなる事に繋がっている。出来もしない「完璧」を1人間が追い続けたなら、プレッシャーばかりかかって自分のかけがいの無さを理解出来ない結果になりかねない。「愚か」だから人の話を沢山訊くべきだし、その結果「己」を誇示出来なくなるだろう。これは自らの成長に大いに貢献してくれる。「愚か」は「駄目」とは似て似つかぬもの。これから私は常に「愚か」であり続けたいと願う。
ところが、私もそうだったが「余り周りに無い様な体験」をしてしまうと、何故か意固地になり易い。自分の体験を容認出来ない内は特にそうだ。自分の周りに変な「結界」を張り巡らし、自分の「体験談」が肥大しながら一人歩きをし、人の話が訊けなくなってしまう。その内自分の勝手な「倫理観」に塗りつぶされた「小宇宙」に足をつかまれ、引きずり込まれてしまう。体験の度合いにも因るが、そんな自分に成り果てている事に中々気付けない為に、上に書いた「愚かさ」の自覚を持てるまでには、また相当な時間がかかる場合が多いと体験上思う。 「愚か」であり続けられたら、世界の様々な「事象」から常に何かを学び取ろうとするだろう。内省にも怠りが無いし、「愚か」は人格向上の礎である様な気がする。しかし残念ながら少しでも状況が上向き出すと、人間は傲慢になって行き易い。でもそれはそれで人生の「1プロセス」であるとは思うのだが‥。 どちらにしても「小宇宙」に入り込む事は、周囲や自分が正しく見えなくなる危険性が大きい。世の中を騒がせる「異常事件」の3分の2程は、この「小宇宙」にはまり込んだ人物達が起こしている可能性が高いと思う。私は願わくば「愚か」であり続けたい。過去の大失敗を「清算」する為にも、今後の人生の為にも。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています スポンサーサイト
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秋に『春風』 |
2011-09-27 Tue 12:57
「幸せだな」と感じる瞬間が、以前より数十倍増えた気がする。完全な「幸せ」なんて存在しないと思うが、20年前の自分、10年前の自分、5年前の‥と辿って行くと、今の幸せはきちんとした「裏付け」があっての「揺らぎにくい幸せ」である事が分かる。何も無くて幸せ、とはやはり違うと思う。
また幸せとは、本当に苦しい時に「幸せに絶対なってやる!」という、云わば「人生の矛盾に対する反骨心」を発起させる事で掴み取れると私は考える。幸せになれる!という希望を、必ずどんなに苦しくても持ち続けられるかが鍵になる。とは言えどん底の時に希望を失うな、と私は言い切れない。自分もそうだったからである。 ただ、自分以外の「幸せになろうパワー」がこの世では常に働いている様に今は思う。それは人智を超えた「説明不能」な大恩恵である。言い方を変えれば、苦難は幸せになる事を前提に私達に巡って来ているとも取れる。先に書いた「何も無くて幸せ」は「何かあっても幸せ」に比べると、非常に浅く、そして脆い。 苦しみの最中、人はおうおにして間違い易いが、心の1番奥底は皆「オセロの白」であると、私は信じて疑わない。現代のいわゆる「覚者」達も、人間は「真面目に」間違いばかりしでかすが、真には救われる存在であると説いておられる方が非常に多い様にお見受けする。それがまことならばなんと心強い事であろうか!大変嬉しく思う。 今夏が終わり秋になろうとしているが、「ふーうっ」と吹いてきた「秋風」が「春風」に感じられる現在の私は、38年目にして初めて『無理無く幸せ』を満喫出来ているのだと、ただただうきうきするばかりである。表面上、幸せを求める事を諦めた事は数限りなくあったが、言葉に出来ない「心の奥底の光」は不動であったが故、救われたと信じている。これは人間であれば共通の力であると、体験上確信がある。どんなにドロップアウトしようと、天は我々人間を見限る事は絶対に無い。皆で幸せになろうよ! 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
更地と消えた「お金」 |
2011-09-20 Tue 18:36
以前にも私が『お金』を貯めていた時期があった、と書いた事があったが、極端な話、収入が必要支出を少しでも上回ってさえいればお金は貯まるような気がする。ただ私の場合に限らず、病気の快復によって行動範囲が広くなったり、色々な趣味が出来たりしだすとお金は段々貯まらなくなっていく。まぁ、私の場合は「色々な趣味」にパチンコが加わって、見る見るお金が無くなっていったのだが‥。
そのパチンコ店の中でも私が初期から中期にかけて、1番足繁く通ったパチンコの建物がこの程「更地」になってしまった。壊した理由は良く知らないが、◎00万円は奉仕したであろう私の気持ちはどうしてくれるんだ~!!と虚しいが叫びたい‥。 この店に最初に通い始めた頃は、現在とは私の状態も店の営業方針も大きく違っていた。パチンコしか私は当時出来ず、この頃のパチンコは一言で言って「粘るが勝ち」という傾向が大変強かった。それに来て病気で粘れない私は、当たっても周囲の視線に緊張の極致に達してしまい「地獄」、当たらなくても金が気になりすぎて「地獄」という「常識では考えられない状態」に陥りながらも、健気に毎日通いつめていたのだ。 でも今振り返っても魅力的な個性のある台が多かった。「あの頃元気だったらな‥」と悔やむ事しきりである。出玉がとにかく多かったから、もち玉で遊ぶ分には今の比では無いほど有利だった。しかし当時の私は2、3連荘すると席を立ってしまい、常連さん達から「兄ちゃん、勿体なかばい」と頻繁に声を掛けられていた。確かに「勿体なか」ったね、マジに。 運転しながら「更地」を横目に「さようなら、私の儚き青春」、心の中で呟く今の私です。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
ディズニーワールド |
2011-09-16 Fri 18:25
人の話を「訊かせてもらう事」の重要性を、痛切に感じている今日この頃。自分は「ダンボ」になりたい。相手がどんな事を考え、どんな事を悩み、どんな事を実行しようとしているのか?まずは訊かせてもらわないと何一つ分からない。自分はそれに対して「意見」出来る様な領域に達していない事が、本当に多い。「謙虚さ」では無くて「未熟さ」が故である。経験が足りないのだ、圧倒的に‥。
以前私は「自己主張」「自己顕示」に長らく毒されていた。正直、人の話を「聞く」ゆとりが殆んど無かった。自分の事に固執し、自分のきつさのみを訴え、自分の苦労話もどきを半ば「伝説化」しようとさえしていた節さえあった。自分を全く許容出来ていなかったし、自分の小宇宙を知らぬ間に創り出し、その中で「裸の王様」に勝手にのし上がっていた。 しかしこんなに「愚かな」人間にも、天は均等に「思い直し」のチャンスをくれる。私が自分勝手な「小宇宙」から一歩、二歩と這い出してみると、なんと「広大な世界」が織り成されている事か!?と驚嘆せずには居れなかった。周囲の人々の抱えて歩くその「見えない錘」の重さにまず目が行った。「自分は何を考え違いしてたのか!!」そう正直に思わずには居れない「この世」という場所の「厳しさ」を見聞し、「自分もその中の1人だったんだ」と新たな「この世界との絆」を感じ、小宇宙を壊し、肩の荷が相当軽くなった。これは私の人生に於いて「10大ニュースの1つ」であったと思う。 「小宇宙」の狭さと怖さ、「人の話が聞けない」ゆとりの無さと悲しさ‥これを痛感しているが故に「ダンボ」になりたいと私は切に願うようになったのである。必然、なのである。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
病気と周囲 |
2011-09-16 Fri 15:50
最近、私は余り生きていて「苦しい」等とは思わなくなった。しかし他人が苦しがっている時、殆んど何も出来ない自分を歯がゆく思うことは、反対に多くなった。という事は、私が苦しんでいる時期その様に思ってくれていた人達が、両親兄弟初めかなりいた、という事になる。ここに至ってようやく気付く心境だ。キツイ時には自分の事しか見えなくなってしまうものだと、それらの周囲の「真心」に対して反省しているところである。
そして‥ハッキリ言って自分が苦しむより、他人が苦しんでいる方が今の自分にとっては厳しい感じがする。その人を思っていても、それが届いた「実感」が全然返って来ない気がする事も多く「俺はこんな思いを周囲にさせていたのか?」と苦い思いに駆られる。 自分自身が「変わる」もしくは「耐える」事はかなり出来る。だけれど今の自分では他人にその心得を伝える力が余りに無い。この力の育成は「病後」に辿り着こうとしている私の、これからの大きな課題である。そしてこの力無くして私の「人生の目的達成」の念願は叶わないと思う。 しかし、この事例も含めて「正常に近くなる」事は、周りが見え過ぎてしまい厳しい思いにさせられてしまう事でもある。それ自体は良いことなのだが、如何に自分が周囲のお世話になってここまで来たのかを、改めて思い知らされる。病気は患者が1番キツイと思われがちだが、周囲だって負けず劣らずキツイのだと今は分かる気がする。両親や兄弟、親戚や親友の「見えない援助」に今更ながらに心から感謝するものである。 心境は絶えず変化し続ける。こういう思いを重ねて行く事を「人生」と呼ぶのかも知れない。自分次第で周りの風景はどうにでも変化するものだと、大きな意味で人間の可能性のでかさを感じる。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
なにはさておき「親友」です! |
2011-09-13 Tue 11:38
昨夜、数日前に「会おう!」とメールをくれた親友のH君と会えた。彼とMちゃん(以前登場した親友)と私は、Mちゃんのご好意により年末2~3回、忘年会をした事のある中学が一緒だった3人である。何かと不思議な縁で繋がった3人、というのもH君が私の通う中学校に転校して来た時、私は『未知への旅立ち』に出発する直前で、彼の事を殆んど覚えていなかった。しかしMちゃんとは部活も一緒で大変親しくしてもらっていた。私が「あっち」に行ってしまった後、今度はMちゃんとH君が同じ高校に通うことになって、親友になっていた。そんな事は全く知らない私が、蘇生して郵便局でバイトをした(前述済み)時そこでH君も働いており、今までの経緯とMちゃんが共通の親友である事が判明したのである。驚いた。
そんな関係のH君であるが、今回初めて腹を割って話が出来た感じがした。勿論H君は前から誠実に人に接してくれる「好漢」だったし、そう出来なかった理由は多分に私にあった。ただ、私も病が9割近く癒えた事により、相手の話をきちんと「聴き」自分の気持ちをきちんと「表現」出来るようになったため、昨夜は大変嬉しかった。彼はここ数年間色々と大変な事が続き、しかし持ち前の「優しさ」と「誠実さ」と「強さ」でそれらの事象を出来うる限り「ポジティブ」にと頑張っている人である。仕事も多忙である上にそんな彼であるが故、責務ある役職を引き受けている今である。でも昨夜の話の間「愚痴・泣き言」は彼は一切言わなかった、と言うか終始爽やかで人に不快感というものを微塵も感じさせないのである。恐れ入った。 彼とMちゃんは似たものを持っている、そんな気がする。先日佐賀に来てくれたT.K氏も含めて、私が見えなかっただけで心ある優しい親友は、私にも何人も存在してくれていたのでした!何か最近嬉しい事が多いよね、私。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
信じる事から始めよう! |
2011-09-07 Wed 12:16
強迫観念に今現在苦しんでいる人達に、今の自分の「幸せ」を是非伝えたい!私は16歳の発病以降、いつも書いている様に強迫観念に悩まされ続けた。ただ、今は健康だった頃、いやそれ以上の「静けさ」を脳に持っている。ハッキリ言って「サイコー!」だ。頭に「ブランク」が産まれる事が、こんなにまで気持ちの良いものだとは、治った今でしか分からない。とにかく奇跡だ。
心が常に警戒している様な状態から、伸び伸びと安心して過ごせる状態に自他共に良化していけた事が全てだ。脳も物質。疲れもすれば休まりもする。当然ゆっくりした脳の方がキャパシティーも拡がるから、精神病に限らず人間的に自然と度量が広くなり、色々な問題に遭遇した時に様々な選択肢を選べる様になれる。人生が大変軽くなる。 そして、つい何年か前までは私も治る等とは思いもよらなかったという事実がある。でも‥治るのである!人間ならほぼ皆同じ脳の造りであろうから、私だけに起こる奇跡だとは当然思えない。私自身「治るとはどういう事か?」と今の状況を想像する事すら出来なかったのだから。というより、強迫観念に対してハッキリとした「病識」さえ持っていたかどうか怪しい位だ。いかにも「自分が自分の意思で考えている」風にこいつは出てきやがる。そのトラップを見抜けるかがポイントだ。事実他の臓器ならまだしも、脳の異常に自分で気付く事は相当に難しい。 それにしても1回味わったら止められんよ!これは。私も最近生きてて本当に楽しいし、皆も治ると信じて頑張るだけの価値は十二分にあるよ。しかし見た目は前の私と何一つ変わっていないので、「見せられる変化」は無いけどね。中身は最早「別人」と化している今の私です。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
誰か横綱が言ってたような‥ |
2011-09-05 Mon 06:46
ビール飲んで寝てたー!眠剤も飲まずに、うたた寝してた。確かに少し嫌な事が昨晩ありはしたが、それにしてもいかんなー!いやぁ、途中で訳も分からずやたら口が痛いので「俺何やってんだろ?」ってのそのそ起きてみて、空き缶見つけて「あー、そう云う事か!」と納得したのだが、頭がまだ半分ほどとぼけており、お茶を飲む事しか出来なかった。で、ようやくさっき本格的に起きて、何故かいまブログを書いている。
これだけでは単なる「与太話」だよなぁ。何か話無いかな?でも話が浮かばない事が幸せなのかもねぇ。しょっちゅう何か考えている方がよっぽど不自然の様な気もする。脳の平安‥これは凄い事だよ、マジに。バランス崩した事の無い人は当たり前って思ってるかも知んないけれどね、いや素晴らしい事なんだよ!「頭が静か」って事がどんなに幸せな事か、そして重要な事か、今の私には痛すぎるほど分かる。 脳が異常だと日常生活にも少なからず支障が出る。大体考えに余裕が無く、偏狭で性急になりがち。そして独り相撲をいつも取っていて、思いにゆとりが少なく凄く「テンパイ」が早い。確かに「外傷性」でない「心因性」の脳の異常は、起こそうと思って起こせるものじゃ無い。よほどの「負の圧力」が長期間に渡ってかかり続けないとそうはならない。こう思うと「取り返しの付く特殊な体験」をしたんだな‥と感慨深いものがある。 そして何よりも自然に季節を感じられる様な、人間のとても大切な心の働きが復活しつつある事が、何よりも嬉しい。失ってみて初めて気付けたのだ。人の心をを最も癒すであろう感情は、正常な脳からしか生まれない事もね。もうあの「温もり」には手が届く処まで来ている。臥薪嘗胆、だな。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
水中毒 |
2011-09-02 Fri 16:26
口内乾燥(ドライマウス)は投薬が始まった16歳の時から酷くなったが、私の「大飲癖」は正確にはこれ以前からあった。部活の友達とスポーツ飲料を一度に3~4ℓ一気飲みしたり、自宅でもねっころがると腹がチャポンチャポンいう位水道水を飲んだりしていた記憶がある。昔から「気」はあったのだ。
だから発病後は、常人では考えられない量の水分を、今現在も摂取している。一日に8&を超える時もある。知人に話したら「酒でもそんなには飲めん」とのこと。最早呆れられている様だ。 タバコに似た感じかも知れない。ちょっと間を取る、とか、イラッとした時とかにぐいっと飲む。それ以外でも、結局‥飲む。こんな事を20年間と言わず続けて来て、よく身体を壊さないものだ、と独りで感心したりしている。 もちろん薬による「口渇」が原因である事も多い。寝起き、特に悪い。口内がカサカサになっている(最近は酷くないが)。そして「口渇」による『最悪の思い出』は、最初の入院中に起こった。薬の量も今の10倍以上飲んでいたので、口の粘膜がボロボロはげていて「水分摂取」は死活問題であったそんな時、水道まで行くと男が1人立っていて、「水が飲みてえんなら‥」なんかよこせ!と言うではないか!?「北斗の○」の様な状況にマジになっちゃてるー!って思いながらも貢物を必死に探し、見つけたのは「カンパン」。それを『ウォーターキーパー』に渡して何とか飲んだ水がこれまた「マズイ」ときたから堪らない!それでも腹が変形するほど飲んだ記憶がある。 と、まぁ色々あった訳だけれど、この特性は角界の「新弟子検査」の時に使えそうな他は、エンゲル係数が上がり、腎臓に負担をかけ、ろくな事が無い。と書きつつ本日2本目のダイエットコーラを口にしている。因みにこのクリニックの「燃えないゴミ」の7~8割りは私の飲み干したペットボトルのカラである。あな恥ずかしや‥。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
高級車がくれた「問い」 |
2011-09-01 Thu 02:12
自分の創り出した限界を超える事。今、働ける場所が与えられている私。もっと『貪欲』になって良いのではないか?とふと思った。働けないのは病気だから!?ホントかよ?逃げてるだけじゃねえのか?って思った。高級車が目の前を横切った瞬間に、何か心が疼いた。大体の場合「ハイリスク=ハイリターン」が働きの原則。頑張ってんだよな、みんな。
そんな『みんな』と言うか世間を、どこか「届かない世界」と半ば諦めた眼差しで傍観していた自分。そうなるにはそうなる『訳』があった事は否めないのだが‥自分の人生に何となく「他人行儀」だった様に思う今、少しずつでも良いから「リスク」を負ってみようかな?と考えてみた。 何かがあったから、私には出来なかったって絶対言いたく無いもんな。それを「超えて」こそナンボだと思うし、そんな生き方も中々面白いじゃないか。自分の未来は自分で決めるっていう意味に於いても、ね。 まぁ、明日にはもう想いは違ってる可能性も多分にあるだろうけれど、今夜こう思った事は事実だし、今の仕事を与えてくれている院長に対して感謝する事を行動で表すならば、また院長が私に望まれている事は、最終的には多分上に書いた様な「克己心」を実現する事では無いだろうか? 「新たな挑戦をする」「駄目もとで頑張る」「自らが先駆けとなる」。大きく見れば元気な人もスタートの条件は皆同じである。何も私だけが不利な訳では無い。そして数々の「超える」を果たし終え、夢の生活環境に辿り着けたらどんなにか嬉しいだろう!簡単では無い事は重々承知はしているが、自分の限界を超えて何処までも何処までも進めたら良いな~。 心のクリニック新しい風のホームページ ★ブログランキングに登録しています |
| 鉄格子の中から |
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