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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

寝ると回復

日々の生活の中で、心は病気あがりである事も手伝って、様々に変化している。
基本的に脳が疲れていない時は、最近は建設的な事も浮かぶ時が結構ある。
以前、闘病中には『心の平安』を、常にあがきながら求め続けていたのに対して、現在では頭がかなり休まってきたのか、「まあ人生、こんなものかな?」と、妙に納得していたりする。
他にも、私は「強迫観念」にこっぴどくやられたタチなので、未だにいらぬ事が人と会話している時などにしょっちゅうよぎっているのだが、そのお蔭で言葉を発する前に、一旦「ちょっと待てよ‥これは今言うべきことか?」と、止める癖がついている。この癖はお脳に少しゆとりが出てきた今となっては、かなり人の話を傾聴する時に威力を発揮している。
しかし、脳みそは当然常時元気な訳ではない。疲れを感じだすと、精神病特有の「悪循環」が始まってしまう。ややこしい話になるが、疲れれば疲れるほど逆に脳は早く回りだし、更に追い打ちをかけてしまうのだ。しかも己が感じる脳の疲れなんて、曖昧な感覚でしかなく、良くは解からないモノなので、勝手に墓穴を掘ってしまいかねない。こうなってくるともう、状況が静かな場所に避難し、薬を飲んで、最終的には『寝る事!!』しか解決方法は無い‥。ただ、いつもエスケープ出来るかと言うと、そうは行かないのが現実で、危険信号を感じても、突入しなければならない「事態」はかなりある。後は過去の「戦歴」から得たスキルに頼るしか道は無く、そういう意味ではこれが病人の社会性、と言えるかも知れない。
そして、眠ると‥別人格の私に戻るのだ。だから寝て回復するまでになれば、かなり『巷』は近くなったと、私の経験上、思う。一概には言えんかも知れないが。

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パターン青!

ブログを書くタイミングによって、内容はかなり変化する。仕事帰りの疲れた、ネガティブな内容のブログ。睡眠薬を飲んだ後の『覚醒モード』的ブログ。深夜、目覚めた時の、妙にスッキリしたブログ。休みの日の、ゆったりくつろぎブログ‥等。
これらは全てこの病気の、云わば「脳の疲れ具合」と密接な関係があるが、どのブログの文章も私という人格が書いた物には相違ない。
ただ、書いている最中は‥と考えると、その時の状態如何で訴えたいと思う内容が大きく食い違っているし、書いている理由までが正反対であったりする。
疲れているときは、愚痴をついこぼして、場合に依っては共感を求めようとしたり、逆に脳がリラックスしていると「ちょっと行き過ぎじゃないか?」と指摘されるほど、前向き君になって自論を展開していたりする。
これは当然ながら健常者の方々にも日常から当たり前の事なのだろうが、精神病人のそれは、比してかなりギャップが酷いのかも知れない。
私の場合は、決定的に人格が分裂していた時期があり、その混乱状態を色々な努力で「人には見せない」様にしてはいたが、頭の中は常時「多重構造」「支離滅裂」もいい所だった。
そして、それらを一括りに出来る様になってきたからと言って「脳の痛み」の完全復活は多分一生無い‥。
別にそれはそれで構わないんだけど、今日は上の例でいうとネガティブなブログを書きたくて、しょうが無かったんだよね。
しかし‥睡眠薬を飲まざる終えない状況になってしまい、多分最初の気持ちから内容が変化してしまったと思う。
「半病人」そして「薬さま」、納得し難い辛い「フロントライン」であります。

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シルバーバック

「俺は正しく生きているのだろうか?」と度々思う。そもそも「正しく生きる」とはどんな事なのかさえ、かなり謎だが、「自分が目指している理想」に関わっている、つまり充実して「幸せと感じられる生き方」を力一杯生きる事そのものかも知れない。
そして、その幸せがどれ位スケールの大きなモノなのか、どれ位高い地点に立って判断しているのか、そして自分の事だけでなく、周囲の人々の「幸せ」ときちっとリンクしているかも大切だ。
私はお蔭様で、本当に数多くの方々に深い深い「恩恵」を今思えば戴いて来た。誰一人いなくても私はここまでの心境に到達出来ていなかったと思う。
ならば私は今度は反対に、みなに「幸せ」になって貰える様に精一杯尽くそう‥となる筈なのだが、まだそうは正直思っていない。
「自分を固める」「自分を高める」結果「自分が変わり、幸せ」になって行きたい。その心の真意は多分、無言で皆に伝わる筈だ。自らが不安定では、人に確固たる「夢・希望」を感じてもらえない様な気がするのだ。勝手な理屈かも知れないが「背中で伝える」位に、私が自信を持って人間の可能性を示したい。
「人間の幸せはいつも自分のこころが決める」相田みつをさんの言葉である。知人は少なくても、学歴は無くても、金も名誉も持って無くても‥自分がある心の囚われから一つでも良いから抜け出せた時‥それはれっきとした「幸せ」だと思う。
内面充実を念頭に、限られた「命」の無くなるその日まで、こうやって自問自答しながら、焦らずしかし停滞せず、毎日を生きていく所存であります。

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ご飯まだ?

日頃っから難しい事(いらん事?)をいつも考えてる私の脳みそ。Y先輩と会う時に土砂崩れを起こす。Y先輩はもう15年来の付き合いのある人で、いつも飯をおごってくれる。先輩は自分からウケを狙って話す事は無いが、重箱の隅をつつく様に人を観察する人で、ちょっとでも私が不自然な行動や言動をすると、巧みな語力を使って攻撃してくる。私の挙動不審は日常的なものなので、いっつもやられている。しかし、私は先輩が歯に絹着せず攻撃してくるその言葉が、面白くて仕方が無い。言ってみれば自分の鏡なのだが、下品極まりない問答をもうどれだけ繰り返して来た事か‥。いつも緊張気味の私の心が、退廃的であれ解放される時間帯なのだ。私が言った事を冷静に、しかも皮肉交じりに返して来る先輩の言葉に、腹がよじれるほど笑う。普通、気ー使ってそこまでいわんやろってなブラックジョークを言い過ぎる程言って来る。その度に爆笑する。いい関係!?なのではなかろうか?
ちなみに、先輩は私の病気を知っている。それでも毒舌ぶりは止まらない。そこがいい。そして先輩にパチンコを教えたのは私であったりする。それに関しては「ケダモノッ!!」って言われたりして恨みを買っている様だ。休憩時間に職場の入り口に先輩を見つけると、それだけで吹き出すほど可笑しい。今日は何を言ってくるんだろう?そう考えただけで可笑しくて仕方が無い。ひと時の「現実逃避」の時間の始まりだ。私も先輩も、普段は「真面目な人」で通っているのだから、崩れた時のギャップがこれまた酷い!やり取りを文にしてしまえば「何それ?」と言われるような内容なんだけど、ただの馬鹿話では決して無いと思う。だから15年間も続いているのであろうから。まっ、たちが悪く翌日腰にくるような笑いではあるが。

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我が半生!

『人間に生まれて良かったな』とふと思う。『この時代、そして日本、そしてこの両親の子に生まれて良かったな』とまた、ふと思う。『本当に色々有り過ぎる程あったけど、今まで生かされて幸せな、しかもこれからにも期待が出来る人生を歩かせて貰ってるな』これはつくづく思う。
ここに私を立たせる為に、一体どれ程の人達の『影働き』があったのかと、最近よく手を合わせる事がある。妊娠中に逆子で、しかも破水して、おまけにへその緒まで首に巻いて生まれてきた私を、力一杯産んでくれた母。その晩、仕事が遅くなりパトカーを追い抜いてまで私に会いに来てくれた父。曾祖母始め親戚みんなが喜んでくれた、私の「門出」。弟、妹が生まれて、家族は5人になって私の基礎が固まった。
こうは生きれない人もいる。こうは周りに恵まれない人もいる。そして、私もそうだったが、ある時期「生まれて来なければ良かった‥」と悲嘆に暮れる事も正直、ある。でも人間に共通している『幸せをつかむ法則』とは、『人生を諦めないで、地べたを這ってでも生き抜く』ではないかと、独善的に思う今日この頃である。
もちろん、私のケースが全ての人に当てはまる、等とは思いはしない。だって私はへそ曲がりだった為、他の人の苦労を余り理解出来てない、偏狭な面を持っているから。でも、困ってる人への応援はいつでもしたい心は、少なからずある。しかし、これもまだまだ力量不足ではあるが‥。
自分を含めて『人間』という存在の可能性を、絶対的に『信じ』たい!!私の出来る範囲、出来る分野でその事をもといに、自分の思いを形にして行きたい。世界への感謝を、常に忘れずに生きて行きたい‥。

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私は!私は!人生

「俺、一体何やってんのかな~?」今でもそんな風にたそがれる時が多々ある。
でも、その答えは誰もハッキリとは出せない。もちろん自分自身も。
ただ、今は「どの人もそんな気持ちでで生きているんだろうなぁ」と思えて凄く心が救われる。
自分の事だけを分かってもらおうと必死だった長い長い「悲しい」年月‥。
「俺はこんなに苦しんだ!俺はこんなに不遇だった!お前らにこの苦しみが分かるか!?俺は‥!俺は‥!」
と、いつも自分の事ばかり分かってもらおうと死に物狂いだった。
ところが、その「苦しさを理解して欲しい」当の「相手の気持ち・苦しみ」については、理解する気など欠片も持ち合わせられないほど、偏狭な自分でもあった。
しかし今は以前このブログで書いた様に、自分の心の器を大きくして、自分全体を収められる様になり、なおかつ周囲を見渡せる様な余裕が出来て、閉鎖的人格を改善し相手も自分も「イーブン」に感じられる‥これは私にとっての念願の、いや未知の領域とさえ言える「幸福な境地」といえる。
出だしの一文の答えは「ポンコツだが、現在より1歩でも正しい道を生きようと努力している」であるかも?
現に今までがそうだった様に、そして今からも死ぬまでそうして行くのだろうし‥。
まっ、もっと「お気楽な面白い」ブログでも書ける様になれれば良いのだろうけど、そうなると俺らしさが無くなるかも知れないから、ここは「個性」ということで勘弁して下さい!

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