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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

小さくなっていく‥

この世に産まれてものごころついてからこの方、何だか自分でない自分に、翻弄され続けていた様な気がする。
自分ならぬ自分になることのみに全力を傾け、本来の『等身大の自分』は置き去りにしていた。
余りに理想が高すぎて、手が届くはずも無い、今思えば『届く必然も無い』そんな自分ばかり目指していた。
でも、何処かで自分自身を『弱き涙もろき怖がり』の自分と知っていた。
だからこそ『強き涙を見せない怖いものにも動じない』自分に憧れ、その思いに陶酔し続けたかった‥。
しかし、何処まで行っても「自分は自分」。憧れと現実は相違し続けた。
思春期までは病的では無かったが、この相違は思春期に入ると、『もう一人の自分』というテリトリーを勝手に創り出していた。
良く言えば空想力・想像力ともいえる私のこの力。しかし実際は主に、苦しい現実からの『逃避』に寄与している事が殆んどで、内容も人前では到底語れない「醜く、おぞましい」ものだった。
その内に私は現実・実際に住む世界に、嫌気がさす事が多くなり始めた。実情もいよいよ認めきれなくなってきだした。そこで「バーチャル」な妄想にふける割合が、ますます重きを成す様になっていった。
『そこ』では私は「完全無欠の無敵」な存在に、当然の事ながら、なれた。夢中になって妄想したし、嫌いな英語の時間もあっと言う間に過ぎ去った。しかしそこから一歩出ると‥それらの理想からは程遠い、おんぼろな自分が生きている。興ざめもいいところだと思ったが、こっちが「リアル・実際」だとは分かっていたから、妄想の無力さを嫌がおうにも感じる。その繰り返しが暫くは続いたのであった。
この矛盾の原因は『事実を肯定出来ない』精神の弱さだったのか、『高すぎる理想』に無理があったのか、はたまた今となっては『こうなる様になっていた』とも思えたりして、正直良く分からない。
ただ言えるのは、人格形成期の両親を中心とした人達とのコミュニケーション、それに加え私が持って産まれた『資質』、これらはその後の自分の考え方に対して、大きな影響を与えたと言う事だ。
私は幼い頃から鉄塔の様な「大きい建造物」が好きだった。テムジンやナポレオン一世がうち建てた類の「大帝国」も大好きだった。それらは自分にとって『強さの証』に思えていたのかも知れない。自分が持ち得ないモノとして憧れていたのだろう。
今、病気もかなり癒えて自分の『正体』について考えられるまでになった。無論答えなど出せる筈もないのだが、「ありのままのオレ」で生きて許される事が、自分自身腑におちるまでに自信が付いた。これだけの「大惨事」になりはしたが、私は生かされている。ということは「未来がある」「希望がある」のだ。悲劇では決してない。
「二人の自分」が決別してから21間年余り‥ついに精神が「一つの自分」に戻りつつある。
そして「小さな自分」に落ち着ける事が、それを容認出来る事が今は幸せで堪らない。

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