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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

高校生になりたい!?

皆そうなのだろうが、気が付いたら「今の自分」になっている。この世は決して平等ではないが、人同士の苦労は比べる事は出来やしない。云わばそれがその人の「個性」であり、人生の「本当の目的」を探し出す「カギ」だと思う。
話は変わるが、私は正常な精神状態で「受験勉強」というものをした事が無い。一度でいいからやってみたい、と昨晩酒を呑みながら真剣に考えていた。憧れのN高‥、そこで止まってしまった時間を再び動かせないだろうか!?酔いも手伝って思慮が巡る。型破りには慣れてる筈だ。出来なくも無い‥そう思ってみても酔いが醒めてしまうと、「やっぱりおかしいかな?」と考えてしまう。悲しいもんだ。
何時までも過去にこだわっている、と思う人も少なくないだろう。でもそうでは無いのだ。
病気が快方に向かえば向かうほど、過去の遺恨が芽吹き出す。冷静に世の中を見れるようになればなるほど、自分の失った物の大きさに改めて驚く。昔にこだわるのは愚かしい、と思われる方もおられるだろうが、私自身ショックが大きすぎて、愚かしかろうがこだわるしかないのである。
退院して間もない時期、友人たちの「しっぽ」が見えている様な錯覚を覚えた頃も確かにあった。遮二無二追いかけた自分もいた。死ぬ気で本気で追いかけた。だがそれは幻想だった。
最近思うのは、太いレールから滑り落ちても、それはそれでそれなりの生き方がある、ということだ。確かに希少数派になってしまったにしても、前述した様に人の人生は、他人と比べてどうのこうのいう物ではない。最期は皆一人になるのだから、早いか遅いかの違いだけだ。そう思いながら、自分を励まし続けて生きて行こう。

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悪い心とその結果

自らが自らの心の内を、自らの手によって汚し、溜まりに溜まった『非常に不調和な念』によって、病を発症したと納得している。誰も悪くない、もしかしたら自分も悪くないかも?だから今では誰の事も恨んだりしていない。人間とは悲しいもので、この想いに至るまでにもう人生の約半分を費やしている。でも良いのだ、ここに至ってる事こそ本当の『内省』が出来る下地であるのだから。
散々他人のせいにして来た自分がいる。まさか自分のしでかした事とは思うよしも無い、そんな状況も長く続いた。しかし私に限らず、まっすぐに生きているつもりでも、間違って生きてしまう人は大勢いると思う。その間違いに運良く気付いた時から、「生き直し」が始まる。産まれてこのかたの自分の立っている大地の傾斜に気付ければ、そこから正しい新たな人生がスタート出来る。
まずは「自分が良い方に変わろうと努力」する事。極論、これが全てであると言ってもいい。自分が変わらなければ、自分を取り巻く周囲は変わらない。初めは形だけでも、周囲に対しての言葉や表情に思いやりを持って生活すること、これだけ心がけてもだいぶ違ってくると思うし、人から非難された時は、素直に自分の非を認められれば、自らが成長出来ると思う。ちょっとキレイ事だけど。
最初はなるがままの人生、次に困難にぶち当たり、最初は怒り・不満。しかし徐々に反省、その過程において己の産まれ持っている「人間的傾き」を苦難を通して発見する。そして第二の人生を始める。この時期が今考えてみれば思春期であるのでは?と思う。

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比較する心

何故、俺だけを置いて行く?何故、皆は当たり前のように恋愛をして結婚して、子供を作って家庭が築けるの!?何故、8時間以上週6日とか働ける強い精神力を持ってるの!?何故?何故!?‥。
時々、何が何だか分からなくなる時が、今でもある。世間から『疎外』されて、不平等を訴えても訴えても相手にされない、そんな感じ。健康な人が、思いつきさえしなくて良いものを、勝手に次々思いつく、病気の頭。その思いついた事で、悩んだりさえしたりしてる。
ここで問題なのは、病気のせいで私の精神があまりに「閉鎖的」になっている事だ。他人の気持ちを考えるゆとりが殆んど無い、だから巨大化した『他人の幸せ』が、心の虚空にそびえ立ってしまう事になる。
本当はみんなと同じ境遇になりたいだけではなくて、健康な人と同じ位の心のゆとりを持ちたい、卑屈にならずに明るく生きたい‥そう思ってるかも知れないと、この文を書きながら考えた。
病気と苦しいことは、必ずしも同意義ではないと思う。病気にかかってなくても、健常者でも苦しい事は沢山ある、と思う。そう思えないのは、我がままなのか、はたまた了見が狭いのか?もしくは病気の苦しさ故にゆとりが無いのか‥どっちにしろ「見識の行き違い」なんだろう。病人が理想を求めるあまりの。
ただ、病気柄「孤独」とはいつもお友達だ。精神病人は肉体的にも、精神的にも寂しくて声が漏れるほど「孤独」だ。それはこの病気が、ちょっと他の病気と違って、他人とのコミニケーションに障害を大きくもたらすからだ。これについては「何故!?」と感じる方が正直だと思う。早く人間に‥もとい健康になりてーなぁ!!

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狂気と薬

自分で作ってるんだけど、狂気の世界に入り込みそうになる時が最近多い。芥川龍之介・三島由紀夫・太宰治らが見た「本当ではない」結末。今の私には分からんでもない。思考回路が疲れ果て、その挙句に貝が閉じてしまい、全ての想いが「この世以外の世界」に憧れを抱いてしまったら!?危険である。自分が今、人間として「間違った」感情に浸っている事も、最期の最期には分からなくなってしまったのか?自分の様な状態の人間には、とても他人事とは思えない。狂気は狂気を呼び、自分の人格が崩れてきて、その「あっち」に行ってしまったが最期、さようなら、である。考えてみたら私は「あっち」に何度も行きかけた。「お前、悔しく無いのかよ」「産まれたからには生き延びろよ」‥。何処からか聞こえて来るそんな人間の意地・尊厳と言ったものに、辛うじて救われたから今がある。「産まれてきて本当に良かった!!」とは到底言える現状ではないが、死ぬまでに言えるものなら一度は言いたい、本心から。最近特に危ない感情が湧いてくるが、ある薬(私はこの薬を実に15年以上服用している)が1日6ミリから4ミリに変更になった時期と重なると言えば重なる。でも健常者は他の薬も含め、全く飲んでいない人が殆んどなのである。それに、不思議なのだが感情の周囲に対する表現が、不思議とスムーズにいく。思った事を口でしゃべるのが心なし楽な気がする。これで良く分かる事は、要するに「考えられないように」薬が脳に働いてくれていた、という事。だからそれが減るってことは、上に書いたような感情が『復活』するという事でもあったのだ!薬にここまで思考を左右されようとは‥感謝でもあり、なんか「その程度のもんかよ人間は!」と思ったり。でもこの薬が仮に15年前に無かったら、今私は多分ここにはいない。辛いけど「健常者の真似事」に近付く1歩には変わりないだろう。そういった意味で病人は、薬を正しく処方されるならば、ある一定期間は有り難く服用すべきであろう。命には替えられない。

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