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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

愚痴まくり!!

愚痴ってはいけないような感じはするのだが、あいにくこの時間に私の愚痴など聞いてくれるのは、このブログを読んでくれる人だけなので、済まないけど肩を借りようと思う。
自分の中の殆どの『何か』が情け無い事に、発病時の16歳でストップしている。
中学校の卒業式に出席出来なかった、そして高校受験が出来なかった自分。
友達にとってはもう20年も前の昔話なのに、私には色が付いているかのように、手に取る様に思い出せてしまう。
当時、夢にも見た事の無い将来…今の自分の事だが…が待っていようとは、当然予想だにしなかった。予想するどころか将来を考える事さえ出来ない程、健康な時間が余りにも短すぎた。とにかく一言で言ったら「悔しい」かな。
今の自分は36歳の「壮年」という事実。その自分で生きてるのは間違いない。
しかし、病のために訳が解らなくなっていた時期が相当に長かったし、果たして今の自分もどれ位自分で自分を捉えているかについては、理解度は限りなく疑わしいと言える。
言い換えればこれが「とある一例」の精神病の事の成り行きであり、そして常にこう言う「説明しがたい」状況になってしまうのも、精神病ならではといえばそういう事に「学術的」には収まるのだろう。
しかし…しかしだ!!これって辛すぎないですか!?
この他にも言いたい事は山ほどあるが、犬の遠吠えになるのでよそう。
参考までに…今夜は非常に疲れており、また眠剤を服用してからブログを書いた為、後ろ向きな発言が多かった事、平にご容赦願いたい。寝れば大分元気になるのだが、こんな私でいたい時もあってね。

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先祖に感謝

私は産まれた時、曾祖母が1人、祖父が2人、祖母が3人いた。父が産まれた家から養子に行った為に、そんな事になっていたのだと、小学校4年生の頃に両親から聞いて知った。今はもう母方の祖父1人だけになってしまったけど。
結局、私は祖父や祖母を本当には安心させる事の出来ぬまま、みんなを見送ってしまった。
特に心残りだったのは、母方の祖母に今の自分を見せられなかった事だ。それに加え祖母の『初盆』の村での催しが行われる日の昼、病気が招いた数々の苦痛体験を、集まった兄弟や従兄弟達と比較して、放心状態になるほど落ち込んだ挙句、祖父の日本酒をがぶ飲みしてしまった。
自宅でしか、それも母の前でしか出ない筈の「凶暴性」が、飲酒の結果牙を剥き出しにしてしまい、大暴れして初盆を中止に追い込んでしまった。本当に悔やまれる。婆ちゃんがもしいたら、心の底から詫びたい。
その祖母の13回忌が、今度の天皇陛下の誕生日の日に営まれる。祖母は色んな意味で有能な方だった。村の事をいつも思い、アイディアもずば抜けてセンスが良かった。若くしてリュウマチにかかってしまったが、私たち孫にどれだけ愛情を注いでくれたか分からない。
そして、その祖父母が母に安定した家庭環境を供給してくれたからこそ、母は「強き母」となり、私の闘病生活を支えられたのだから、時々私はこうやって先祖に一時でも感謝をささげる事を実行する義務がある。
今回の法事では母の発案で、祖母が寝たきりになってから「短歌」をこよなく愛していたのを受けて、皆、短歌を作って来ようという事になっている。こころは十二分に有るのだが、まだ歌は出来てはいない。「ご免なさい」と「有り難う」だね、やっぱり。

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暗闇に光る使命

悲しくない、と言えば嘘になる。苦しくない、とも言えない。寂しくない訳が無い。
でも、発病して10何年間は、こういった感情すら湧かなかった。ただ我武者羅に友人に追い着こうと孤軍奮闘し、友人達の栄達した姿を想像すればするほど、憎しみや怒り、憤りや破壊衝動が『どす黒い』心を支配した。
頭の「前頭葉」の部分が真っ白髪になるほど、考えても仕方のない事をずーっと考え続けたり、正に「精神病に休日無し」であった。そういった意味で内科や外科と精神科は大きく違う。逃げられないし、避けられない。ある時は症状に一日中翻弄されつづけ、その上今どんな状態なのか、自分で判別する事もままならない。月の明かりすらない真っ暗な街角を這いずり回っている、それに等しい位厳しかったような気がする。
でもその厳しさが、私を大きく成長させてくれた。避けられないから余計に順調に成長し続けた。人生にとって「谷」の時期は「学ぶ」時期であり、人生の至福とはその谷を抜け出した時に、ふと振り返る事かも知れない。
ハッキリ言って私は偏った学しか持たない。楽しかった時期もかなり短い。友人も少ない。
でも、それだけの犠牲を費やしても、人生で何が本当に幸せなのかが、少しだけ今回の「谷」を通して分かった気がする。
それは『生きてる、いや生かしてもらってる事自体が大きな恩恵』なのだという事である。自分に天運が無ければ、巷を騒がす事件を起こしていた可能性も否定できない。
なのに私は無事生きている…まだしなければならない事が残っているからだと考える事にする。

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「おおさか!」

私はN院長のご好意により、大変大きな学会に招かれる事になった。それもパネリストとしてである。O製薬の後援によるものであった。500名超の医師・看護師・薬剤師の方々が集まられていた。思わず意気込んでしまった。
しかし、この会場に来る前に、私はあることで自らの病が相当癒えてる事に気付かされ、密かに喜びを感じていた。
と言うのも私は、何と表現してよいのか分からないのだが、遠くに来てもその場に来ているという実感が、殆どわかずに夢を見ているような状態になることに、発病後大きな違和感を感じ続けていた。しかし今回新幹線から大阪駅に降り立った時「大阪に来たんだ!」と、ほぼ健常者だった頃に実感が戻っていたのである。そして、大阪の都会ぶりを満喫しつつ、南港の会場に向かえたのであった。
N院長のお顔は拝見した事が当然無かったが、会場に着いてお会いしてみると思っていた以上に温厚・温和な方だった。私のような者に懇切丁寧に挨拶をして下さり、かつこの学会での私の発言趣旨について優しくお教え下さった。そこでの私の立場は、N先生のご配慮により当事者としての面よりも、新しい風のスタッフとしての面が色濃く出ている場となった。
私の発言については言わずもがな本当につまらぬ事しか言えなかったが、何故か「新時代の幕開け」とも言うべき感情を私の中に残してくれた学会であった。これからも幾多の壁が待っているであろうが、大きく一歩を踏み出した事に変わりは無いであろうと今は思っている。そして強く強く大阪行きを後押ししてくれた当クリニックのY院長に心から有り難うと言わせて頂きたい。

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