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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

夕暮れと少年

私は今思えば…変わったガキだった。
冬の夕暮れが大好きだった。空の滅茶苦茶大きな存在感と、ちっぽけな自分という構図が、何故か一体感を帯びて「感無量」になってしまって、全身が痺れるのである。大空に身も心も吸い込まれてしまって、でも偉大な存在に包み込まれているような、究極の安堵感が1時間でも2時間でも続いた。しかし決まって、1人でいる時にしかその状態にはならない。至福のひと時であった。でも他の人も皆そんな事があるのだろう、と余りその恩恵に対して感謝はしていなかった。

その能力は発病と同時に霧散した。自然に対しての感情が完全に麻痺した。
薄っぺらな生活が始まった。感情が酷く鈍感になって、太陽はただの「丸」に見えた。最近でこそ時折自然を感じるが、病気になって十何年かはその様な片手落ちな感性しか持てなかった。
何処かへ行っても、そこにいるという実感が湧かない。心ここにあらず、であった。これは大きな悩みだった。人間、自然と隔絶すると、こうも力が得られないものか!?と絶えず悔やんだ。
でも『時間は癒し』。
最近、チャリで近所の店に行く時、ふっと風を感じた。その風は「感性が戻るかも知れない」そう思わせてくれた。そしてガキの頃、感性に恵まれすぎていた事が、今ごろようやく分かった。心が病むと感情まで病んでしまうのだ。それが1番悲しい事かも知れない…。

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感謝の多い日々

昔では考えられ無かった心境に、最近誘われる事がある。
『感謝』という心境である。それも心の底からの『感謝』なのである。
果たして10代の、20代の私がそんな未来の心の激変を予測出来ただろうか?
そしてその当時、それが分かっていたら、どんなに希望と夢を持てただろうか?

私は、「そういう希望の者」になりたい!今心からそう思う。

ある程度試練は超えてきた。それなりに苦しんだ…でも、それがどうしたというのだ!
お蔭で自分1人で生きてるんじゃないって分かった。いつも周囲を犠牲にして生きてきたのに、何なんだ!?この周囲の温かさは…。
私は過去の自分の愚かさを想う。自分の問題であったのに、世の中を敵視し、苦しみを人のせいにし続けた。神を呪った。生まれを呪った。親兄弟さえも呪った…。
しかしみんなが実は願ってくれていた、私が治る事を。
これを知った時から、私は自分が『感謝』させて戴けるように許してもらえた気がする。
すると『感謝』する、とは何と清々しいものか!と感じた。自分の枠を出て、人を愛す。人の幸せを祈る。自分の事より他の人の事を大切にする。
どんどん磨いて行きたい「この」心である。皆、ここまで導いてくれて本当にありがとう!!

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『青い鳥』

発病時からすると今は天国の様だ。あれほど苦労していた『対人緊張』がまず無い。色々体験を重ねて自分自身に自信を付けていった事が効を奏した。今日では一般の人よりももしかしたらそういう面で打たれ強くなってるかも知れないって思うくらいだ。とにかく周囲に感謝、この一言に尽きる。
『苦難は乗り越えるところに意味があり、乗り越えてみれば感謝である』
正直、この心境に至れるなんて病気の酷い最中は、思いもよらなかった。「周りに感謝!?何で!?俺は被害者じゃないか!」とずっと世の中を恨んできた私だったから、当然である。しかし自分以外のものに苦しみの「原因」を見ていたのでは、何時まで経っても埒が開かない。まずはその苦難を「自分事」として受け止め、内省を重ねて行く。自分が作った原因に(以前にも書いたが)私の場合、自分が飲み込まれていた。こう考えて見ると「青い鳥」はやっぱり「自分の家」に居た、と言う事になる。
私は運が良かっただけ、とお思いの方も多くいらしゃるだろう。でも私自身病が重篤な頃は夢も希望も「殆ど」無かったし、治ると「殆ど」思っていなかった。運命の分かれ目は「殆ど」をどこまで信じられるかにかかっている。「この世に絶望は無い」、高杉晋作の名言であるが、私はこれを「生きている限り例え真っ暗闇の井戸に落ちても、可能性が0になる事は絶対にない」と捉えている。
そして人間は「生きている」のではなく、「生かされている」のではないかと最近思う。それ自体が最高の恩恵であり、また人間の絶望を乗り越える力の源の様な気がする。貴方も私も「大きな存在」に守られた一人一人なのだと考えたい。

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有り難う・苦難!

私って何だろう?とよく思う事がある。ニヒリズムなのか、願いを探しているのか、はたまた病気の後遺症なのか…。こんな事、誰に聞いても答えは無いだろうし、それは本当は自分自身しか見つける事が出来ないのだとは薄々分かってはいるのだが、自分の外に『納得のいく答え』を求め続ける癖は、一向に治っていない。
私は16歳から精神的病に苦しんできたが、それ自体偶然起こった事ではないような気がする時がある。必然、と感じるのである。ならばそこに答えがあるのではないか?
ハッキリとは見えてこないが、その答えの求め方が1番本質に迫るには近道であるようだ。現実は常に肯定、起こった事態は覆せない、事実直視でこれからの人生も生きていこうと思いを新たに今日を生きる、これしかない。
苦しみがあるから人生の目的が少しづつ明らかになってゆく。苦しくなかったら多分人生とかそういう事は考える事も少ないだろう。だからある意味、苦しみは人生にとってとても大切なのだと思うし、将来に繋がって行く『道』を示してくれているように思う。
私って何だろう?の答えは自分の人生が苦しみを通して教えてくれる。その事実は少し切なく、悲しく、寂しいものではあるが、人間探求の道筋とはこんなものなのだろう…常に痛みが伴うけれど、その事を迎え入れていく人生をこれからも「タフ」に送って行きたいものである。
「難あって有り難い」しょうがないな、人間だから…。

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