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鉄格子の中から

中学3年の時、私自身が精神病を発症し、35歳になる現在に至るまでの色々な闘病体験などを、拙い文章ですが綴らせて戴きます、どうぞ宜しく。

周りに他人(人)がいた!!

私は人と話していたようにしてて、実は話していなかったんじゃないか!?最近そんな事を思う時がある。発病以来20数年間「病苦」に固執せざる終えなかった。そのポリシーを手放すと、自分にはもう何も残らないと何処かで片意地を張り続けていた。「世界で1番苦労していなければいけない…」そんな事今思えば比較の仕様の無い事だ、と思えるのだが当時の私にとっては絶対に譲れない価値観だった。
だから他人の苦労話を聞いていても、どこか一線を画す心で聞いているから、その人と一体感が持てないし、参考にならない。何時まで経っても一人ぼっちのままだったのだ。いつも苦労の本来出来もしない比較に明け暮れていた。理由はあった。自分が間違った事をした覚えが無い、という事。それにきつい事が余りにも多過ぎたように感じていた事。でも間違いのもとは「苦労の無い人生」がある、と錯覚していた事だった。
20年以上かかったが、「誰にでも苦労がある」。この事に目覚めた時、人間の生まれながらの悲しさと勇気を知った。皆が好きになれそうな気がしてきた。私は『一人ぼっち』じゃ無いんだ!と生まれて初めて思った。
この気付きの為に私は病気をしたのだろうか?とさえ思った。私の心が皆を頼れる様になりつつある。これは画期的なことで、しかも人間の言わば「基礎中の基礎」だと気付いた。(続く)

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ささやかな喜び

両親と私の三人暮らしの我が家では、最近些細な事で三人とも嬉しい気持ちになる事がよくある。お互い共に苦難をいくつもくぐって来た「同志」である。中でも母の働きは目覚しく、私と父が精神的に悪かった時に、孤軍奮闘してくれた。父は父で、発病以来父本人の中で「変わろう、変わろう…」と努力をしてくれた。実際父は変わった。温厚になり、家族思いになった。これが本来の父の姿だったのだ。私はこの2人を喜ばせたいと心から今思っている。そこでこのブログが本に出来ると知ったので、早速5冊程製本して頂いた。届いた本を両親に見せると、とても喜んでくれた。私がもう過去にはわだかまりは殆ど無い、と言うと更に喜んでくれた。
他にも「当たり前」な事が3人にとっては凄く嬉しかったりする事も良くある。私が暴れない、怒鳴らない、物を壊さない…たったこれだけで両親は喜んでくれ、私も嬉しいのである。お恥ずかしい限りの話だが、前はそういう行動に出る衝動を抑える事すら出来なかった。今のような状態が訪れるとは、到底信じられぬ日々が長かっただけに、両親の、そして私の喜びはひとしおなのである。
「当たり前」が「当たり前ではない」事を私は今回の一連の苦難を通して知った。常に何事に於いても感謝が出来るとするならば、素晴らしい事だと思うし、人間のごく自然な動向であるような気がする。とにかく命は有限だ。出来うる限りの親孝行を私はしていきたいと願っている。少しでも3人で楽しく過ごせる様に。(続く)

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自分のスタンス

生まれて物心付いた頃から、つい最近まで私は「上か下か?」という価値観に縛られ、常に心の中で競争をして来た。本来は比べる事の出来ない物まで際限無く比較していた。病気を患うとこの比較、とりわけ「苦労の比較」を常時止める事が無かった。退院して来て巷に戻っても、「自分が一番苦労している!」と何に対してなのかさえ分からない比較を続けていた。
それには自分なりに訳があった。苦労以外に人に誇れるものが無く、持って生まれたプライドを癒す事が出来ない、と思っていたからである。実際に他大勢の同級生に比べて、そういう普通の体験は持ち合わせてはいなかったのは事実であった。でも過去に固執する事は、本当に自分が救われる道では実は無かった。
人と心を通わせる喜びというものを、味わった事が皆無であった。そういう心になりたいとどこかでは願っていたにもかかわらず、つい最近までそう生きれなかった。それがようやくこの頃「心に」落ちるようになれた。
自分にゆとり、特に精神面で余裕が出てきたからだろう…皆がそれ程羨ましくは無くなった。実は「比較」こそ自分を苦しめていた原因であり、煩悩であった。でも哀しいかな人間は、そうと気付くまでにこれだけの長い時間を要する場合もある、という事なのだろう。
でもこの扉を開けた事によって、新たな段階に私は立つことになった。夢も希望も持てるようになりそうだ。そして「謙虚さ」というものを学習する入り口に立つことが出来た事が、何よりも嬉しい。(続く)

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他人の苦労

私は原因は色々あるが、狭い世界しか知らない。通常であればもっと多くの人と出会うのかも知れない…その人の生い立ち・生き方・考え方なんかを、もっと知る機会があったのかも、と最近思うがこればっかりはどうしようもない。出会いは人には作れない、のである。
まあこれから、元気にもなってきたし、少しずつでも知り合いを広げて行ければいいなぁと思っている。
他人の生き様はきちんと見る心で見たら傷だらけである。「俺のブログなんか赤ちゃんだな」って思ってしまう。そんなにこの世は正直、苦しいのである。
ただ、ある方がおっしゃてたのだが、「苦難があるという事は、願いがあるという事」という言葉は私たちにとって大きな救いであると思う。その方が更に「願いが定かでない時には、苦難は表れてこない」ともおっしゃられた。そうだと良いな、と素直に思う。みんな幸せが良いに決まってるもの!私はこんなうっとーしい「苦難・苦労云々…」といったようなブログを書く事しか出来ない。でも広い世界にはそれをも超えて先に先にと道を進まれて行かれる「先達の方々」がどうやら大勢おられる様である。自分もこれから苦難に突入する人の力になりたい、と切に願うものである。と言っても私の場合、自分の事ですら持て余す位だから、冒頭に書いた様に沢山の出会いを重ねながら、自分も苦難に一緒に打ち勝って行く1人である事に変わりは無い。
人生、どこまで行っても「未達」なのだ。こんなにやりがいがあって、しかも嬉しい事は無い。(続く)

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新しい風一周年!

私が勤務させて頂いている叔父のクリニック『新しい風』が、皆様のお陰様で本日開院一周年を迎える事が出来ました。今日はいつもと違って、スーツにネクタイの正装で出勤してみようかと思っています。この一年、私はまた変わる事が出来ました。それが院長の願いであり、私の念願でもありました。何がどう変わったか?といわれても言葉では上手く説明出来ません。しかし「自分なり」にスケールアップできたとでも言いましょうか、とにかく新たなステップに向かって、前進し続けていると思います。
最近母と「あの頃ひどかったよねー」とか「良く生きてられたよねー」とか病を思い出として話す事ができています。でも私だって10年、いや5年前はこんな会話は出きっこ無かった。ここを皆さんに励みにして頂きたい。未来は見えませんが、「思い」さえ貫けば必ず事態は好転するという事を。競争ではありません。比較でもありません。じっと我慢しながら、正しい未来像を心に描き、期を待つという事に尽きます。地味な努力ですが、生きてる内に叶えられない夢なんか無いと思います。夢は夢で終わる、いや終わらせてはいけないのです。
入院中、さだまさしさんの「道化師のソネット」という歌を良く聴いていました。歌詞の一節に「いつかホントに 笑いながら 話せる日が来るから」とありましたが、今形ばかりかも知れませんが、私はその歌詞に非常に近い位置にいるような気がします。くどいですが夢は必ず叶います。
今日まで一年間、正直あっという間でした。病気してから今までも、振り返って見ればあっという間…。
一日一日をもっと大切に生きねば、そう思って止みません。(続く)

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母と私

母と私。ハッキリ言える事は、母がいなかったら今の私は存在しない。出産の有無の話では無く、病気の介護・その他全般に渡ってという意味で。母は私が「内面の自分」を発病前から出す事の出来る唯一の人で、私はどれだけ、そう、数え切れないほど母には頼ってきた。気位が高かったり、逡巡する癖があったりするが、そんな事「痘痕もえくぼ」である。余りに存在が近すぎて、何を書いて良いのか困ってしまう。いざという時に腹がすわり、私の暴力・暴言何のその、今考えたら私の2枚か3枚、常に上をそして先を行っている人である。母の「たなごろの中」で私は孫悟空のように、あっち行きこっち行きしていた様に今は思う。
母にしてもらった事は余りに多過ぎて、とても書けたもんじゃないが、その「信念の強さ」には舌を巻いてしまうものがある。私が発症して人生の最下点にいた時も、それは全く揺らぐ事は無かった。「絶対良くなる!」では無く「絶対良くする!」とむしろ攻勢に出るほどの強さだ。自分が犠牲になる事を全く気にする訳でもなく、ただひたすらに私のため、私のためと全てに於いて心がけてくれた。
お陰様で最近では、私が治った事もあり、言いたい放題文句を言い合ったりするが、顔を見合わせて「昔じゃ考えられんよねぇ」と笑いあったり出来る様になった。私の危惧していた事の一つに「両親が元気なうちに、果たして良くなるのだろうか!?」という思いがあったが、両親が若い時の子供であった為に、それは杞憂に終わった。しかしそれもこれも母の子に対する愛情の強さ故に成し遂げられた事は言うまでも無い。
この両親にどれくらいの恩を返せるか?吉田松陰の辞世の句を思ってしまう今日この頃である。(続く)

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僕の愛犬のスゴイとこ

シゲチヨ(私ではなく犬の方)は、私の心が最もすさんでいる時期に、我が家に突然やって来た。生後三ヶ月の芝犬、毛色はほぼ真っ白。最近流行った携帯電話の「お父さん」を、ちょっとだけ細くしたような犬で、主人が暇な上に少し「ずれたパワー」の持ち主であった為、一日4~5㌔半ば強制的に散歩に明け暮れて、気が付いてみたらあらまあマッチョな犬になっちゃって!…という「巨人の星」の星飛馬のような厳しい(!?)生い立ちを辿る事になった。本人はまんざらでもない顔はしていたが。
彼は色んな意味で性格が面白かった。私がいかれていたので、一日に四回目の散歩に行こうとした時の話だが、散歩紐を私が握っても目を合わせようとしない…。「シゲ、行くぞ!!」呼んだら仕方なくこちらへトコトコやって来た。で、散歩に出発したのだが、彼を見ることも無く勝手に駆け足で団地を抜ける小さな橋にさしかかった時、急に紐が前に進まなくなった。何事かと振り返って見ると…何と重千代君が標識に前足を組んで引っ掛けて、頑張っているではないか!私は少し反省し「お前が喜ぶと思ったのになぁ…」と自宅に引き返そうとすると、その帰り道の彼の早いこと早いこと!すーっとマイホームの中に入って丸一日眠りっぱなし。とにかく私も彼もハードな時間を生きていた。今となってはいい思い出だ。そして筋肉が付いていたのは彼だけでは無かった。つれ合いの私も泥棒の様に足が速くなっており、グラウンドで専門の人にタイムを計ってもらったら、「インターハイ」クラスになっていた!日々の積み重ねは大きいなぁとつくづく感じた一コマでした。それだけ。(続く)

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苦労の意味

苦労・苦労・また苦労…この世はホント苦労の連続だね。私もホトホト苦労が絶えない人生を送って来たような気はするが、それは果たして「私だけ」なんだろうか?病気の間中、自分の苦労さえ理解できず、周囲の人達はどんどん栄達して幸せになっていってる様に感じるのに「俺は何なんだ、何の為に生きているんだ!」って心から叫び続けていた気がする。自分の苦難を受け止めきれなかったんだな、きっと。それが苦しみに苦しみ抜いて、徐々に「自分の心の器」を広げていった結果、苦難がスッポリ収まるようになり、周りが見えてきだすと…幸せそうに見えていたのは実は「錯覚」ではなかったのかと思うようになってきた。元々苦労というもの自体、比較の出来るものではないのに、無理して比較しつづけた自分がいた。自分の存在感をそうする事でしか見出せなかった。自分が一番苦労していると思ってないとやって行けなかった。
でも、ゆとりが少し出だした時、はたと気が付いた。苦労は俺だけがしてるのでは無いって事にだ。羨望のまなざしで見上げ見ていた人達には、その立場ごとの苦労がきちんとあった。苦労を超えたらまた苦労、人間の諸相の一端、人生の原則の一端を垣間見た気がした。
この世に「楽」を期待すると痛い目に遭う事が多い。元から生きてる限り苦労は続く…逆に言えば苦労があるという事は、生きている証なのだと思う。それでも生きている事は素晴らしいと、時々思えるまでに回復させてもらった事に、心より感謝したい。皆、きついけれど頑張っているのだ。(続く)

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もー嫌だ!

たまに、と言うかしょっちゅう「もー我慢できん!」と思うような状況に陥る事がある。「何で俺がこんな目に遭わなければいけないのか?」と世の中の余りの理不尽さに、怒り心頭する時がある。何時もは冷静でいられるようにやっとなったのに、全てをぶち壊したくなるような怒りが、心と頭を駆け巡って、親とかに暴言を「聞いてもらう」羽目になってしまったりする。
それでもやはり昔とは違って、落ち着く所にその怒りは落ち着く。「人間皆、苦労の無い人なんていないのさ…」とか「死にたいほど悔しいけれど、せっかく生まれて来たんだ。生きられるだけ生きてみよう…」等と、5年前位の自分では考えられないような言葉が、次々浮かんできて私を救ってくれる。
今の自分の心境を、10年前位の自分が見たら、きっと絶望せずに「もう少し頑張って生きよう…」と励みに出来たかも知れないと思う。でもそうは甘くなく、「10年経った」から、その間一生懸命耐え、頑張って来たから掴んだこの心境なのだと思ったりもする。これは他人との競争でも比較でもなく、コツコツと時間をかけて、心という畑を耕して行くような、地道な自分しか出来ない作業だと思う。
不足も怒りも持ったまま、抱えたままで自分の器を広げて行く。そうしていくと今現在の自分を「容認」出来る様になって行く。決して諦める事無く、「自分流の努力」を重ねて行けば、袋小路に思えた状況の中に、「中国製の冷凍食品」に開いていたような「1mmの穴」を天は必ず用意してくれている。それは人生の「法則」であるから、例外無く間違いない。希望は表に出さなくても、常に心の奥底に持ち続けていれば、いつか絶対報われる。それまでの時間に個人差はあるだろうけど…。とにかく1人でも多くの苦しい人達が「幸せのけものみち」を作って行けるように、俺も負けずにがんばろっ!(続く)

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父について④

いくら努力しても、生きたいように生きられるとは限らない…その人間としての定めを、自分に対して認める事。そこから他人の人生に理解が及ぶようになるような気がする。父との相互理解もその辺りから始まっていった。父が病を得、続くように私が精神病になった。一見チョー不幸な家庭に見えるが、これ無くして今の私と父の関係は有り得ない。父は父で、私は私で、自分の病気と向き合いながら、(まぁはっきり言えば今現在もそうなのだが)お互いの過去を清算する努力をひたすら続けて行った。
前にも書いたが、父が母を怒鳴り散らかし灰皿を投げ、それを何も言えずに極度の緊張状態で、その場から心配で離れる事も出来ず、ただ怯えて暮らした幼少期~少年期を私は持っている。多分にその後の思春期と精神病の発症に、影響を与えたであろうそれらの出来事、そして父に対して「憤り」と言う言葉さえ超越した、表し難い怨念がずっと心に纏わり憑いていた。
退院してからずっと「あんな人間には死んでもなりたくない!」と強く思っていた。ところがどうだろう?退院後の私は荒れまくり、父が私に与えた何倍もの精神的苦痛を、両親や兄弟に何年もの間、出し続けてしまったのである。この事から「人間はそうなりたくてそうなってるんじゃない!」と反省し、父に対して持っていた「憤り」は、解消する方向へと向かったのである。
紆余曲折有りはしたが、今の私と父の関係は良好である。私だけでなく父も同じように、自らの心を見つめてくれた事は言うまでも無い。
この様に病にかかる事は一見不幸に見えるが、それが自分の心の奥底に隠れている「願い」を叶えるきっかけを、与えてくれる事に気付いた。人間「転んでもただでは起きない」のである。
そして最後に、親としての父の苦労を私は知らない。自らも苦しい中、私たち家族を必死で思ってくれている父に心の底から「感謝」したい。(「父について」終わり)

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父について③

そんな折、叔父が大切な助言をくれた。「お父さんにも今のお父さんになった訳があるんじゃないか?」
自分のそれまでを振り返ってみて、正直な所落ち度らしい落ち度が見当たらない。それどころか誰にも負けないくらい頑張ってきた自負さえある。なのに途中経過とは言えこの結果を招いている…。この事に気付いた時、父の苦悩に初めて目が行ったのである。間違いたくて間違う人間はいないのだ、と。
たかだか35年の人生だが、真面目に人間は間違うのだ、と今強く感じる。父の場合、比較は出来ないが、私とはまた違った大変な苦労を背負って生きて来ていた事にこの時初めて思いがいった。幼少期、貧困が理由で実の両親のもとを去らなければならなかったその苦労と覚悟。思春期も病こそ患わなかったが、何度も自殺しようと思った事を後から聞いた。大好きな実父に高校の夏休み、焼酎を買って持っていった話等を聞いているうちに、等身大の人間としての父が垣間見えてきた。人間が人間たる所以はその「不条理さ」にあるような気がしてならない。頑張った者だけが良い目を見れるとは、決して決まっていないのである。
父が歩んで来た道は、父だけが知っている部分も沢山あると思うし、父が若い頃何故あのように振舞っていたのか、そこには人間として生まれる事の言いようの無い切なさが今は感じられる。思い通りに生きてきたつもりでも、実は何かどうしようもない大きな力に流されてしまっている。父も私もそうであったと思う。(続く)

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父について②

父の病は、現在大流行中の「うつ病」だった。あれだけパワフルに野心に燃えていた父は、きっと僕たち家族の為に、養父・養母の為に力が空っぽになるまで頑張ってくれたのだろう。慣れない鉄工所の経営を養父から突然任され、どれだけ大変だったかは、想像にかたくない。
それでもそれは今になってようやく分かってる事であって、小学6年生の私にとっては「足かせ」になっていた怖い父が、急に病的に元気を無くしたことは、むしろ好都合だと当時は浅はかに考えていた。
しかし同時に、我が家の大黒柱が倒れかかっている緊急事態である。私を含め家族全員が、それぞれ前途に大きな不安と緊張を抱かざるおえなかった。確かに家の中から罵声は消えた(私が変わりに罵声を上げ始めてはいたが…)。でも一つもいい結末では無かった。未だその時点で「父の本当」を私はほとんど理解出来ていなかった。病気になってからは逆に「父こそが病気の最大の要因を作った人だ!」とさえ恨んでいたのだった。父がもの心つく前から、我が家の平安を乱しつづけたから、私は病気になったのだ、何て親の下に生まれてきてしまったのだろう!と絶望しかかっていた。
退院してから、しばらくは家族と一緒に食事を摂っていなかった。父の「怒鳴り声」がトラウマの原因だと確信していた。しかし、今度は事もあろうか「私自身」が父のやってた事、すなわち家庭内(特に9歳年下の妹)を、怒鳴り声と暴力で「恐慌状態」に陥らせる事になってしまったのである。「親に似たくない」と思って育てば育つほど、親そっくりに育つと聞いた事があったが、まさかここまで似ようとは!気が付いたら一番なりたくない自分になっていた。(続く)

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父について①

私の父親は、一言で言うと「不器用な素直な短気だけど優しい人」だ。しかしそれは今現在の父であって、うつ病を発症する以前の父はそうではなかった。
最初に就職した某大手企業に勤めていた頃の父は、「訳の分からない、怒鳴り散らかす怖くてしょうがない人」だったし、またそんな物事に動じない父の性格に対して、何処か「強い憧れの性格」と思っていた面もあった。また、母にも怒鳴ってる姿を良く見たし、私は父の前では「大人しい良い子」を、怖くて振舞っていたように記憶している。この頃は母の話によると、週に1~2日しか家には帰って来てなかったらしい。
養父の突然の病気により、断腸の思いでこちらに帰って来てからの父も、私から見れば「非人格的人間」であった。父の実体像が見えて来ないのである。泣いている母に更に罵声を浴びせたり、通常の常識が全く通じない人であった。ただ、仕事には猛烈に無理を重ねながら頑張ってくれていた。
しかし、無理がたたったのか父は若くして「重度のうつ病」になってしまったのである。この後間を置かずに私自身も精神病になるのだが、ここからが父と私の「絆の再結」の始まりであったのだ。母の苦労は筆舌尽くしがたいものがあったのだが、それは別の章の話とする。
父と本当に心の通った会話が出来る様になるには、まだまだこの後10数年かかるのであるが、「本当の父の姿」が垣間見れるきっかけは、お互いの病からだったと言える。(続く)

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最近の状況

私は今年35歳になった。発病してから約20年経った事になる。心境は、と言われると一言で言えば「人間どこまで行っても苦しい事はあるんだな…」という実感がある。かつて遠い夜空の星のように、輝いていた現実を私は今、生きているのかも知れない。「あそこまでたどり着いたら、きっと楽になれる!」そう信じて疑わなかった日々。しかしどうだろう?ここに至れば至ったで、新たな苦難が待っていた。ここで思ったのは、これは私が羨望のまなざしで憧れている「周囲の人」にも当てはまる事ではないかという事だ。常に人間でいる限り、苦難からは逃げられないんだなぁ…と感じている。
でもだから良いのかも知れない。人間ゴールがあったら面白くないもの。いつも挑戦者でいつも「未完の頂」を目指す存在だからこそ、面白いし貴いのだと最近思う。物事は移ろいゆきながら、徐々に滅びてゆく定めにある。人間だってその定めからは、どうあがいたって逃げられない。「生老病死」の法則は、分け隔てなく誰の上にも容赦なく降りかかる。では人間はただその渦に、巻き込まれる為に生まれて来たのか?その先を考える事が私にはすごく重要に思えてならない。そんなに詰まらないものでは人間はないと思う。でなければ苦しむ意味なんて無いからね。
とにかく最近私は贅沢だ。過去から考えたら天国のような生活を送らせてもらっているのに、もう「のどもと過ぎれば…」になってしまっており、恩恵を忘れかけている。もう一度原点にもどらにゃいかん!これが近況と言えばそうかな。(続く)

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